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WhySoカードで職業訓練
3月 13th, 2010 by admin

今回はWhySoカードを利用した、コミュニケーショントレーニング講座を開催しました。

場所は、とある訓練校のカリキュラムの一貫として、生徒さんは訓練が始まったばかりのコースや終了間際のコース、ちょうど訓練機関が半分ほど経過したクラスの延べ60名でコミュニケーショントレーニングを開催しました。

20名のクラスなので4人ずつのグループを5つ設定し、テーブルのメンバーを交代しながら各テーブルでWhySoカードを一人ずつめくって答えたところで、テーブルの他の人から質問を行ってもらうと言うものです。

トレーニング内容は、自己紹介に1分。その後カードの質問に対して、各自3分間で「①○○についてお話します。②本題。③○○についてお話しました。」という話の組み立て方を意識して回答してもらいます。

次に、同じテーブルのメンバーから、一人ずつ質問をしてもらいます。(話を良く聴いていないと質問は出来ないですね)

質問の際に使用するのが、写真に写っている赤と白の手の形をした「質問ハンド」です。(混乱を避けるために質問ハンドを持たないと質問は出来ませんので・・・)

最後の振返りで、どのクラスの感想でも一番多かったのが、「普段話しをしない人と話が出来て相手が良くわかってよかった」ということと「普段話したりしないような内容で会話できた事が良かった」と言うものが多かったようです。

生徒の皆さんは、質問カードに答える事で話題を考える必要がなく、すべての人が時間を忘れて楽しそうにコミュニケーションの基礎となる「聞く・聴く・訊く」の違いを実践していましたが、当然ながら、「訊く」(質問する)を楽しむのは難しそうでしたが、興味のある質問には活発に質問が飛び交っていましたので、なかなか優秀な生徒さん揃いでした。

 

 

子曰く、君子は義に喩り、小人は利に喩る。
2月 8th, 2010 by admin

子曰く、君子は義に喩り、小人は利に喩る。


近年、物余りの時代と言われるようになって久しいが、最近薄型テレビのシェアがブラウン管テレビと比べてようやく50%を超えたという発表をつい最近目にした。それはいわゆるブラウン管テレビを視聴していた人が薄型テレビに買い換えたと言う事に他ならないと考えられる。

今まで見ていたテレビが、壊れてもおらずまだ映るというのに新しいテレビに買い換えるという行動を起こすには、やはり理由が必要であろう。実際に購入すると決めた人の理由は「画面が綺麗だから」や「消費電力が少なくて省エネだから」そして「場所をとらないから」などの話しを聞くことが多いような気する。加えて国家的にも総務省と「つよしくん」が一生懸命コマーシャルしているが、2011年7月24日にアナログ放送が終了しデジタル放送へ切り替わるので買い換えなければいけないという政策や景気浮揚策としてのエコポイントもあってそれなりにお得感があるというのも大きな要因であると言う事もいえないではないが、最近では地デジチューナーも5000円位から手に入るようになってきたし、エコポイントは購入しなければもともとないものであるから。絶対的な理由ではないと思う。

このようにテレビを見るという基本機能がより良く進化したことにより、新しい新機種が欲しくて買い換えるという行動を起こすことの理由に、家族団らんという意味で大きな薄型テレビがリビングにありみんなで楽しく放送を見るという、お父さんお母さんの自己満足から発生した心の充足を求めた結果といえるのかもしれない。それは家電製品の中でもテレビはそれだけ存在感や重要度が高いという事であろう。

かたや一方では一時代に三種の神器として一世を風靡した冷蔵庫や洗濯機は、便利な機能が付いたからとか、新製品が出たからなどで買い換えるというのは余り聞かない。買い換えるとすれば、壊れたとか調子が悪いとか経年変化で古くなったものをただ買い換えるという意識のほうが強いのかもしれない。そもそも「冷やす」「洗う」という機能には新しい機能は付けづらいと思うから、だいたいにおいてコマーシャルを見ても、省エネや静かさ、大きさといった事が選択肢と上げられているようである。

そう考えるとテレビも「放送が見える」という基本機能に絞れば買い換える理由は、前出の心の満足になってしまうのかもしれない。

また携帯電話は近年新しい時代が生まれたと言ってよいほどの革命をおこし普及を始めたが、その後はやはり家電と同じく基本機能はそのままに、他の製品の基本機能を取り込んで進化を続け買い替えを促し続けていると思う。そこには購入者が新しい携帯電話の機能を手に入れるという満足感や、新しい機種を所持していると言う自己満足もあり、しかも持って歩く製品だけに他人へ対する顕示欲や見栄も要因に含まれているように感じる。

これらの事を考えると、現在のような物余りの時代での買換え需要ということには心の充足が大きく関係していると考えられるのはないか。

しかし重要な事は本来の心の充足と言うのはこのように何か買う事による自己満足や見栄と言うものではなく、誰かから自分が「認められていることや」また「気に掛けてもらっている」などの、人と人との関わりの中から生まれる安心感や期待感から得られる心の充足が重要ではないかということであるが、今の世の中では人と人の関わりが薄れて、お金を使うことで、誰もが偽りの心の充足感を購入しているように思えるのである。

テレビを買い換えるおコストを、たとえば夫婦の実家への里帰りを増やして親子の絆を深めたり、もっと時間をかけずに実家への電話の回数を増やしたり、プレゼントを贈ったりという本来の心の充足感を満たすことに時間やお金を掛けたりしてもいいのではないかと思う。

 

 
また、違った見方をすればテレビを買い換えて団欒する事で、子どもや奥様との家族の会話を増やしたり、冷蔵庫洗濯機を買い換えることで奥様の満足感を得てコミュニケーションを高めたような気になるという、誤った認識なのかもしれません。

本当に親子や夫婦の会話を増やして家族の信頼を高めようとしたらテレビは必要ありませんし、逆にまったく邪魔な存在と言えるかもしれません。テレビも何もない状態であれば、少なからず会話は増えると思います。台風直撃で停電が何日も続くような環境下では会話は増えるものなのです。ましてや奥様に新しい洗濯機を買うことで夫婦の信頼を高めるよりも、夫婦の会話の時間を増やして満足を与えたほうが夫婦の信頼関係もより深まるのではないかと思います。

子曰く、人にして遠き慮りなければ
1月 13th, 2010 by admin

子曰く、人にして遠き慮りなければ、必ず近き憂いあり。

 

  

 

日本国内での割り箸の年間消費量は200億膳と言われている。

 

割り箸の価格はコンビニやお弁当屋さんで付けてくれる安い元禄で1膳で0.9円位。結婚式や料亭で使われる天削だと4円位。それを半分の値段で輸入するとしても年間約200億円を外国に払っていることになる。(ウーンお金を払ってわざわざ不健康なものを購入しているのだ。まぁそのような人に限って健康になるためにもかなりのお金を使っていると思う。)

 
また、この割り箸の環境問題では木材で作ったものや竹で作ったものがあるが主に環境面では木材が議論される。森林を伐採するのか、間伐材や端材を使用するのか意見が分かれるところである。それよりも、健康面で言えば200億膳の90パーセントが国外からの輸入であるが、この割り箸を生産する段階でカビの繁殖を抑える化学薬品に漬け込んだり、見栄えの良い箸にするために漂白したりと、健康を害する問題も潜んでいる。人が食べる食事の回数は一日3回で年間1095回。人生70年として76650回。その内半分を割り箸で食べるとすると38325回である。であれば化学薬品のしみ込んでいない箸を使うほうが良いに決まっている。特に無農薬野菜を主張する人やレトルト食品の添加物を気にする人はすぐにでも割り箸使用をやめて「マイ箸」を持つことをお勧めする。

 

もし使い捨ての割り箸のほうが衛生的だと思う人がいたら、多分間違っているのではないだろうか、前出の様に割り箸は科学薬品や漂白剤をしみ込ませる必要があるために当然汁物や醤油や唾液も浸透するから一度使ったら不衛生といえるかもしれないが、当店のような木曽の漆塗り職人が木曽檜にキチンと漆をしみ込ませた箸はかなり衛生的である。昔から檜風呂が良いといわれるのも檜が本来持つ木独自の抗菌抗カビの特性が伝えられているからこそであるし、漆も自然素材で抗菌抗カビ機能が高いために昔から食器に多用されてきているのである。間違っても化学薬品によって抗菌抗カビ機能を持たせた素材とは別世界のものである。
 

最近のマイブームでお勧めは「マイぐい飲み」である。寒い冬に、ダウンではなくきちんと着物を着る。これがいいのである。
 
腰には「マイぐい飲み」「マイ箸」を布袋様の根付で帯に差し、気の効いた陶器の片口で冷酒を注文して自分のお気に入りのぐい飲みでキュッと一杯。簡単なつまみをマイ箸でつまむ。やはりこのときに薬の匂いのする不恰好な割り箸は似合わないのである。
 

しかし、極論すれば日本の伝統を守り、環境を守り、数少なくなってきた子供達にいいものを残してあげるために、現在の人間すべてがほんの少し余計にお金をかけることは決して間違ってはいないと思う。もし将来、日本人が環境破壊で不健康になり、伝統文化も継承者が居ずに消滅していたとしたら、どんなに莫大なお金をかけても、もう戻らないのである。それを考えたら今、「マイぐい飲み」「マイ箸」そして「マイ雪駄」では無いだろうか。・・・と勝手に思っている。

 

 

子曰く、賢を見ては齊しからんことを思い、
1月 12th, 2010 by admin

子曰く、賢を見ては齊しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みるなり。

 

 

 

蕎麦打ちが趣味で、返しからお手製で作っているのだが、つゆの味は長い間試行錯誤を繰り返しているが、最近初めて判ったことは長崎の醤油はすごく力強い味がすることである。

 

そもそも醤油が一般に普及してきたのは江戸時代といわれているが、とくに関東は濃い口醤油が発展してきたために江戸のそばつゆは辛めである。蕎麦の先にチョッとつけてすするぐらいでちょうど良いとされている。

 

日本最古の醤油は和歌山県湯浅の湯浅醤油が1234年に金山寺味噌の製造工程で生まれる上澄みを料理に使ったのが始まりという説が一般的である。

 

もともと長崎は日本が鎖国の時代に出島から醤油が輸出されていたことが、長崎の醤油の発展に寄与していると思う。そのころは波佐見焼の染付白磁の徳利形の瓶「コンプラ瓶」で輸出していたそうだが年間40万本が出荷されていたというから結構な量である。今もチョーコー醤油には「金富良醤油」として昔ながらの醤油が生産されている。

 

現在日本の醤油メーカーは2000社ほどあるが、千葉のキッコーマン、ヤマサ、ヒゲタと兵庫のヒガシマル、香川のマルキン5社で全体の50%のシェアを持つといわれている。が、ほとんどはスーパーに並んでいる一般消費用の醤油である。九州にはニビシ・フンドーキン等があり熊本にはフンドーダイ・ヤマア・ホシサンとある。

 

全国の醤油を見てみるとキッコーマンを代表として醤油には「亀甲」を使用した名前が多いことに気がつく。そこで醤油の歴史を調べてみたが、最初に亀甲マークを使った最古の醤油製造元は1668年創業の茨城県の柴沼醤油が初めてで、それは土浦藩のお抱えであった柴沼醤油が土浦城のお堀の形状が六角形(亀の甲羅状)で「亀城」と呼ばれていたため土浦藩のお城の印として「亀甲」を使用したと言われている。その後、江戸で味の良い醤油として「親しまれていた土浦藩の醤油のまねをして「亀甲」を使う醤油が増えて、六角形は醤油の代名詞となったようだ。

 

では、土浦藩はなぜお堀の形状を六角形にしたのであろうか、「鶴は千年亀は万年」と亀は昔から鶴と並んでめでたい動物とされている事は周知の事実だが、亀は易学においては「玄武」とされ、北方を鎮護する霊獣としても尊重された。日本には、海亀が卵を産んで海に帰るときに酒を飲ませて帰すというように。亀がめでたい動物で、海の化身と考えられていたようだ。そのために家紋のなかで亀甲紋が格別な扱いをされているのはそのためで、戦国時代では、多くの戦国武将や武家が亀甲紋を用いていた。当然ながら戦国時代に紀乃国の湯浅も亀甲紋である。

 

そうなにだ!キッコーマンは亀甲万(亀は万年)で付いたのかも知れない・・・・と思ったら、本当にそうだった。

 

千葉にある香取神社の氏子さんが醤油造りを始めるときに香取神社の神紋が亀甲紋様なのと亀は万年で”萬”を入れたそうである。ちなみにケチャップのカゴメも「籠目」「かごの目」で六角形だということがわかった。しかし、出雲大社も厳島大社も香取神社も亀甲紋が知られているが、日本の北方の護り神で「玄武」即ち亀を守り神として亀甲紋を用いてるようである。

 

醤油一つをとっても、歴史がありその歴史を代々継承してきて始めて一般的なものになることが改めて理解することが出来た。

 

 

 

子曰く、性、相近きなり。
1月 11th, 2010 by admin

子曰く、性、相近きなり。習、相遠きなり。

 

 

 

 

アメリカ人は、私たち日本人と違って自分の言いたいことや思っていることをはっきりといえる国民性を持っている様に思う。(遠慮がないとか節操がないとかという意味ではない・・・)

 

これはお国柄だと思っていた事もあるが、実はアメリカの学校では、子どもたちは幼いころから、Show and Tell (見せて説明する) という教育を受けているのである。

 

これは子供達が、今日はこれを持っていこうと決めて、学校で家から持ってきた物を、クラスのみんなの前で「これはどういうもので、今日はなぜこれをもってきたのか」という事を発表して説明する。

 

そして、説明が上手くできない子供には、先生がいろいろと聞きだす質問をしたり、少しずつ馴れさせていく事を行うというのだ。

 

また聞き役であるクラスの子供達へも、発表者の話を聞く態度や質問などの教育も同時に行っている。

 
 

この教育によって子供は幼い時から自分の意見を人前で相手にどのように伝えるかを経験し、小学校高学年や中学生になると、子供たちのスピーチは堂々とした大人顔負けのものとなっていくのである。

 

アメリカでは、この様に何かを相手に伝えるというコミュニケーション能力は、日本で言う国語や算数の次に位置するほど、重要なものとして、教育の現場では認識されているのである。

 
 

そう考えると日本の子供が、人前に立つと緊張して話せなかったり、恥ずかしがったりというところは、アメリカ人から見ると、きっと何故説明しないのか、何故黙っているのか・・・不思議な人種に見えるのだろう。

 

しかしながら、大声を出したり、思ったことをはっきり言うことは、何とはなしに、はしたないというイメージで育ってきた日本人と、小さい頃から自分の意見を通す事を良しとしてきたアメリカ人とでは、そのコミュニケーション能力に大きな違いがあるのは致し方ないことのようにも思える。

  

今後の子供の将来においても、日本の将来においても「筋道をたてて自分の意見を相手に理解してもらう」というコミュニケーション能力は、
そもそも日本人に欠落しているのではないかと思う。ニュースにでてくるような日本のリーダー達も、説明責任やリーダーシップといいながら、何も語ろうとしないのではないか・・・・

 

また、個人で考えてもほとんどあらゆる仕事の場面で必要不可欠であると思うし、ましてやプライベートでの人との関わりや、恋人を獲得する事やプロポーズするという人生に大きく影響する場面でも必須の能力といえるだろう。

 
  

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